2016年08月09日

「差別戒名」があったなんて知らなかった‥‥。

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posted by 柳田由紀子 at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

非差別部落(同和地区)の歴史を学びに、奈良の「水平社博物館」を訪ねた。

 数年前に上原善広さんの『日本の路地を旅する』(文藝春秋)を読んで以来、〈路地〉(同和地区、被差別部落。上原さんは、中上健次文学にならい〈路地〉と表現)について学びたい気持ちが募っています。
 そこで、「舳松(へのまつ)人権歴史館」(大阪)に続いて、今度は奈良の「水平社博物館」を訪ねました。水平社とは、戦前にあった全国初の部落解放運動組織で、現在の部落解放同盟の前身です。



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ラベル:水平社博物館
posted by 柳田由紀子 at 16:39| Comment(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

非差別部落(同和地区)の歴史を学びに、大阪の「舳松(へのまつ)人権歴史館」を訪ねた。

 私の生家は肉屋でした。私が生まれた年、昭和38年に東京、下町の葛飾区立石駅前に開いたお店です。だから、私は「肉屋のゆきちゃん」として育ちました。
 一方で、父は、私が幼い頃から「差別をしてはいけない」としばしば言っていました。うちの周辺に貧富の差はあったけれど、「差別」というほどのものを感じたことはなかったので、私はいつもなぜ父がそんなことを言うのか不思議でした。
 後年、被差別部落(同和地区)のことを知った時、ようやく父の発言の背景がわかりました。父は、昭和34年に転職、茨城県の竜ヶ崎屠場に通ってモツの卸商を始めました。そのうちに、卸だけでなく直営店もということで、私が生まれ育った肉屋を開店したわけです。

 そんな父は、初めて入った屠場(関西では「とば」と呼ぶようですが、うちでは「とじょう」と言っていました)で、非差別部落の実体に接したのだと思います。関西ほどではないのですが、関東でもやはり屠場や食肉と被差別部落は深い繋がりがあるようです。あるいは、昭和8年に浅草で生まれ育った父は、あの頃の浅草で、被差別部落問題に接していたのかもしれません。続きを読む
posted by 柳田由紀子 at 15:40| Comment(2) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする