2016年08月09日

「差別戒名」があったなんて知らなかった‥‥。

 少し前になりますが、日本に一時帰国していました。その間に、曹洞宗の大本山、横浜鶴見の總総寺を訪ねました。總総寺は、私がこの何年間も取り組んでいる故・乙川弘文スティーブ・ジョブズの禅の師)が、短期間、修行したお寺です(弘文の所属は永平寺)。また、13歳だった弘文を得度した故・乙川瑾映(きんえい)禅師が、昭和52〜57年まで貫主だったお寺でもあります。
 それで、『總持寺の歴史』(竹内道雄著、吉川弘文館)を読んだのですが、以下の文章がありハッとしました。

「長年にわたり被差別部落の方々に『差別戒名』を付与してきた」

差別戒名」などというものが存在したこと自体を、私は知りませんでした‥‥。亡くなってまで、そんな陰惨な仕打ちなんて。


 ちょっと調べたところ、wikipediaにも「差別戒名」のページがありました。
被差別部落民が文字の読み書きが出来ない事に付け込んで、戒名に被差別部落民の墓だと分かる特定の文字や形式を用いることがあった」
 具体的には、「革」「僕」「屠」の他、「禅畜門(男)」「屠士(女)」「革門」「僕男(女)」「鞁男(女)」「非男(女)」など、当時の日本人ならすぐにぴんとくる戒名を付けたようです。

 
 さらに信じられないのは、「戦後には、寺の敷地内に侵入して、ある人物の先祖の戒名を探し出し、その人物の祖先の出自を調べる差別事件が問題となった」。
 ゲスというのは、こういう行為を指すのではないか。ぐっと落ち込みますが、この日本の歴史を受け止めていくしかありません。

被差別部落3.jpg
 偶然なのですが、私が總持寺に行った日にこんな看板がありました。差別戒名物故者法要のお知らせ。過去の過ちを反省し、現在總持寺では、こうした慰霊法要や差別戒名の墓参を行っているそうです。

被差別部落2.JPG
 この日、私は總持寺の参禅会(坐禅の集まり)に。日時の都合で「英語坐禅コース」に参加しました。外国の方々向けのコースだから(日本人でもOK。ただし説明は英語)、短くて楽ちんかと思っていたらとんでもない! 約40分の坐禅+経行(歩く坐禅)約10分+再び30分くらいの坐禅と、みっちりでした。


被差別部落.jpg
 總持寺には、横綱、大錦卯一郎のお墓も。相撲ファンとして慎んで手をあわせる。大錦は、角界から引退後(実際には廃業)、早稲田大学政経学部に入学した稀有な横綱。

  
 
(左)『日本の路地を旅する』(上原善広著、文春文庫)は、被差別部落についてよくわかる名作。大宅壮一ノンフィクション賞受賞。被差別部落を知りたい人は必読。(中)少々難解だけど總持寺の詳細がわかる『總持寺の歴史』(竹内道雄著、吉川弘文館)。(右)禅僧、乙川弘文とスティーブ・ジョブズの交流を描いた、米フォーブス社のコミックブック、『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』。僭越ながら私が翻訳しました。
posted by 柳田由紀子 at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

非差別部落(同和地区)の歴史を学びに、奈良の「水平社博物館」を訪ねた。

 数年前に上原善広さんの『日本の路地を旅する』(文藝春秋)を読んで以来、〈路地〉(同和地区、被差別部落。上原さんは、中上健次文学にならい〈路地〉と表現)について学びたい気持ちが募っています。
 そこで、「舳松(へのまつ)人権歴史館」(大阪)に続いて、今度は奈良の「水平社博物館」を訪ねました。水平社とは、戦前にあった全国初の部落解放運動組織で、現在の部落解放同盟の前身です。



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posted by 柳田由紀子 at 16:39| Comment(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

非差別部落(同和地区)の歴史を学びに、大阪の「舳松(へのまつ)人権歴史館」を訪ねた。

 私の生家は肉屋でした。私が生まれた年、昭和38年に東京、下町の葛飾区立石駅前に開いたお店です。だから、私は「肉屋のゆきちゃん」として育ちました。
 一方で、父は、私が幼い頃から「差別をしてはいけない」としばしば言っていました。うちの周辺に貧富の差はあったけれど、「差別」というほどのものを感じたことはなかったので、私はいつもなぜ父がそんなことを言うのか不思議でした。
 後年、被差別部落(同和地区)のことを知った時、ようやく父の発言の背景がわかりました。父は、昭和34年に転職、茨城県の竜ヶ崎屠場に通ってモツの卸商を始めました。そのうちに、卸だけでなく直営店もということで、私が生まれ育った肉屋を開店したわけです。

 そんな父は、初めて入った屠場(関西では「とば」と呼ぶようですが、うちでは「とじょう」と言っていました)で、非差別部落の実体に接したのだと思います。関西ほどではないのですが、関東でもやはり屠場や食肉と被差別部落は深い繋がりがあるようです。あるいは、昭和8年に浅草で生まれ育った父は、あの頃の浅草で、被差別部落問題に接していたのかもしれません。続きを読む
posted by 柳田由紀子 at 15:40| Comment(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする