「週刊新潮」2011年12月8日号より転載/文・柳田由紀子
「勤勉」「忍耐」「節約」。そんな日本人の徳目を日々実践、
アメリカの荒野に大輪の花を咲かせて「キング」と呼ばれた男たちがいた。
日米開戦で明暗を分けながらも、
日本人移民史にその名を刻んだ「キング」たちーーその夢の跡。
「帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
真珠湾攻撃が起きたのは、今からちょうど70年前の1941年(昭和16)12月8日。「桶狭間とひよどり越と川中島とを合せ行ふ」と、山本五十六が表現した作戦は見事にはまり、日本中が奇襲攻撃による勝ち戦に沸騰した。一方この瞬間から、アメリカに渡った日本人移民たちは歴史の荒波に飲まれていった。
日本人のアメリカへの本格的移民は、明治元年(1868)、ハワイに渡った契約労働者に始まる。その後も移民は増え続け、明治40年代に入ると米本土の日本人移民は7万人の大台を数えた。
時代は、日清戦争から日露戦争にいたる頃。青雲の志や立身出世、殖産興業が叫ばれ、福沢諭吉は、青年の海外、とりわけアメリカへの渡航を盛んに奨励した。
だが不慣れな異国で賭博や酒に溺れる者も多く、女衒や売春婦に身を落とす者も少なくなかった。
それでも、明治人らしく日本人の徳目である勤勉、忍耐、節約を貫き、遂にはキングと称されるほどの成功者も現れた。塩鮭王、アワビ王に日本庭園王、さらに「四天王」と呼ばれたワイン王、ポテト王、ライス王、そしてガーリック王。彼らの多くは、カリフォルニアで莫大な資産と成功を手に入れた。そこには、日本列島がすっぽりと入ってしまうほど広大で肥沃な大地と、流入する巨大な人口があったのである。
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posted by 柳田由紀子 at 21:34|
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日系アメリカ人
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