2014年08月28日

二世兵が学んだ米陸軍情報部語学学校、ミネソタ州の「フォート・スネリング」を訪ねる

フォート・スネリング

 夫の実家があるので、ミネアポリス(ミネソタ州)にはしばしば行きます。ミネアポリスのお隣はセントポール。私は常々、そこにある「フォート・スネリング」を訪ねたいと思っていました。なぜなら、第二次世界大戦時に米陸軍情報部(Military Intelligence Service=MIS)の語学学校(Military Intelligence Service Language School=MISLS)があったからです。この学校に通った兵士の大半は、日系アメリカ人二世でした。
 ところが、寒いさむい土地なので、フォート・スネリングのオープン期間は「夏季限定」。そんなこんなで、これまで機会を逸していたのですが今回ようやく願いが叶いました。
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posted by 柳田由紀子 at 07:22| Comment(0) | 日系アメリカ人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月27日

アメリカで「キング」と呼ばれた日本人

「週刊新潮」2011年12月8日号より転載/文・柳田由紀子

アメリカ日系キング.jpg

「勤勉」「忍耐」「節約」。そんな日本人の徳目を日々実践、
アメリカの荒野に大輪の花を咲かせて「キング」と呼ばれた男たちがいた。
日米開戦で明暗を分けながらも、
日本人移民史にその名を刻んだ「キング」たちーーその夢の跡。 

「帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
 真珠湾攻撃が起きたのは、今からちょうど70年前の1941年(昭和16)12月8日。「桶狭間とひよどり越と川中島とを合せ行ふ」と、山本五十六が表現した作戦は見事にはまり、日本中が奇襲攻撃による勝ち戦に沸騰した。一方この瞬間から、アメリカに渡った日本人移民たちは歴史の荒波に飲まれていった。
 日本人のアメリカへの本格的移民は、明治元年(1868)、ハワイに渡った契約労働者に始まる。その後も移民は増え続け、明治40年代に入ると米本土の日本人移民は7万人の大台を数えた。
 時代は、日清戦争から日露戦争にいたる頃。青雲の志や立身出世、殖産興業が叫ばれ、福沢諭吉は、青年の海外、とりわけアメリカへの渡航を盛んに奨励した。
 だが不慣れな異国で賭博や酒に溺れる者も多く、女衒や売春婦に身を落とす者も少なくなかった。
 それでも、明治人らしく日本人の徳目である勤勉、忍耐、節約を貫き、遂にはキングと称されるほどの成功者も現れた。塩鮭王、アワビ王に日本庭園王、さらに「四天王」と呼ばれたワイン王、ポテト王、ライス王、そしてガーリック王。彼らの多くは、カリフォルニアで莫大な資産と成功を手に入れた。そこには、日本列島がすっぽりと入ってしまうほど広大で肥沃な大地と、流入する巨大な人口があったのである。
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posted by 柳田由紀子 at 21:34| Comment(6) | 日系アメリカ人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月02日

『ホレホレ節』が聴こえるーー「ハワイ・プランテーション・ヴィレッジ」

 ♪行こかメリケンよー 帰ろか日本
  ここが思案の ハワイ国

 その昔、ハワイのプランテーションで日本人移民が作った唄に、『ホレホレ節』という哀愁に満ちた民謡があります。ホレホレとは、ハワイ語で砂糖キビの枯葉を取り除く作業のこと。この唄には、労働、日常、金銭、男女間のことなど、日本人移民の心情が濃厚に投影されています。

 ♪ハワイ ハワイと夢見て来たが
  流す涙は キビの中

 ↓は、「ハワイ・プランテーション・ヴィレッジ」でボランティア・ガイドの方が唄ってくれた「ホレホレ節」です。


 なんだか切ないですよね。今では確固たる地位を獲得したハワイの日系アメリカ人ですが、これが第二次大戦以前の彼らの現実だったのです。 
 オアフ島のほぼ中心、ワイパフにある「ハワイ・プランテーション・ヴィレッジ」は、20世紀初頭のプランテーション生活を伝える屋外博物館。ワイパフは、かつて実際に砂糖キビ畑や製糖工場があった地です。
ハワイ・プランテーション・ヴィレッジ


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posted by 柳田由紀子 at 17:56| Comment(0) | 日系アメリカ人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どこか懐かしい気持ちになるーー「ハワイ日本文化センター」

 ハワイは、日系アメリカ人がとても多い。
 最初に日本人労働者がハワイに到着したのは、1868年のこと。この年が明治元年だったため、彼らは「元年者」と呼ばれました。以来、脈々と流れるハワイ日系移民の歴史を紹介する小さな博物館が、オアフ島にある「ハワイ日本文化センター」です。
ハワイ日本文化センター


 小さいながらも、プランテーションでの暮らし、日本語学校の様子、それに商店が連なる戦前日系コミュニティが再現されていて、ちょっと懐かしい気持ちになる、なかなか秀逸な博物館でした。
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posted by 柳田由紀子 at 17:03| Comment(0) | 日系アメリカ人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする