数年前に上原善広さんの『日本の路地を旅する』(文藝春秋)を読んで以来、〈路地〉(同和地区、被差別部落。上原さんは、中上健次文学にならい〈路地〉と表現)について学びたい気持ちが募っています。
そこで、「舳松(へのまつ)人権歴史館」(大阪)に続いて、今度は奈良の「
水平社博物館」を訪ねました。水平社とは、戦前にあった全国初の部落解放運動組織で、現在の部落解放同盟の前身です。
上原さんには、世界の〈路地〉の食事を紹介した『被差別の食卓』(新潮新書)という著作もあり、
水平社博物館のことにも少し触れています。また、博物館の近くに、「こうごり」(ホルモン系煮こごり)を供す「食堂M」があると書かれていますが、私は時間の都合で行けませんでした。残念。
まずは、水平社博物館への行き方を。
水平社博物館は、ちょっと不便な場所にあります。私の場合、大阪から目指したため、ドア・ツー・ドアで片道約2時間もかかりました。
行き方は3通り。
1)JR掖上(わきがみ)駅より徒歩1・2キロ。
2) 近鉄橿原神宮前駅(中央口または西口)より奈良交通路線バス「近鉄御所駅」行(系統番号30・31)乗車15分。停留所「郡界橋(ぐんかいばし)下車0・5キロ。
3) 近鉄御所(ごせ)駅より奈良交通路線バス「八木駅(神宮駅西口経由)」行(系統番号30・31)乗車13分。停留所「郡界橋」下車0・5キロ。
バスは本数が限られるので、私はJR掖上駅から歩いて行きました。大阪からの行き方は何通りもあるので「駅探」で調べてください。私は、新今宮からJRの快速に乗ったのですが、とても快適だったし景色も良かったです。(路線図をクリックすると拡大します。)
掖上は無人駅。高田(奈良)からの普通列車は、2両編成のワンマン列車。
駅周辺の風景。白壁の蔵がある民家も点在し、この地域の歴史を感じさせます。
駅前の地図看板。この辺りには古墳も多いようで、古い時代から脈々と引き継がれた差別という負の日本史を思い、少し緊張した気持ちになりました。
道がくねくねしているので迷いやすいです。
掖上駅と博物館の間に、住井すゑの名作『橋のない川』の舞台になった曽我川が流れています。曽我川には現在、郡界橋という橋がかかっています。水平社誕生の地。
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と謳い上げた「水平社宣言」(1922年3月3日/大正11)により水平社は創立された。中心となったのは、
水平社博物館がある奈良県御所市柏原(旧岩崎村)の青年たち。
水平社博物館は、掖上駅から徒歩約15分。大阪の「舳松人権歴史館」より大規模です。
ここからは、水平社の歴史を追いながら館内を紹介します。
この日は平日のせいか、見学者は私ひとりでした。展示室に入ると、センサーが探知したのでしょう、予告なしに放送が始まりました。水平社創設メンバーのひとりで、当地出身の阪本清一郎(1892〜1987)が少年期の差別の思い出を綴った『回想録』の朗読です。「私は始めて穢多と云う語を覚へ、自分は穢多に生れたと云ふことは、丁度七、八才の小学校入学してから間もない時であった。」ーー胸をえぐられるような文章。
展示は、「水平社創立前史」「全国水平社の展開」「全国水平社を支えた人々」「ビデオコーナー」他で構成。生活に焦点をあてた舳松人権歴史館に較べて、「解放令(穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス)」(1871年8月28日/明治4)から現代に続く歴史を、豊富な資料をもとに格調高く展示している印象。
「解放令」が発布されても差別は払拭されず、1892年(明治25)、役場の不当な扱いに対し柏原(旧岩崎村)から就学願いの陳情書が提出された。
柏原青年共和団から燕会、そして水平社に。『よき日の為に』は、水平社創立の趣意書(印刷/同朋舎)。水平社の全国展開を呼びかけた。
初期の水平社運動活動家たち。中央に水平社宣言の起草者で、当地出身の西光万吉(1895〜1970)。
展示室の中央に小劇場があり、1922年3月3日に京都の岡崎公会堂で開催された全国水平社創立大会の模様を再現。
水平社宣言、綱領、決議。「ーーケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代償として、暖い人間の心臓を引裂かれーー」。宣言は、熱く激しい言葉で綴られています。
創立(1922年)〜1940年(昭和15)までの期間に、全16回の全国水平社大会を開催。
「水平新聞」も発行された。写真は第23号。
「高松差別裁判糾弾闘争」の請願隊。1933年(昭和8)、部落民と告げずに結婚したことで結婚誘拐罪を問おうとした裁判に対し、水平社は糾弾闘争を展開、勝利。写真中央付近に、「部落解放の父」松本治一郎(政治家の松本龍は孫)。
朝鮮の被差別民解放運動団体、衡平社との連帯を解説。
1927年(昭和2)、「北原二等卒の直訴」。岐阜の被差別地区出身の北原泰作二等兵は、陸軍観兵式に出席中の昭和天皇に駆け寄り、軍隊内の差別を告発する直訴状を手渡そうとするも叶わず。北原二等兵は、その後軍法会議にかけられるが、不敬罪にはあたらず服役後釈放された。彼もまた水平社の活動家だった。
「北原二等卒の直訴」については、松本清張の『昭和史発掘 1』に詳しい。
北原泰作自身にも著作、『賎民の末裔』(筑摩書房)他がある。
その後の戦時下、水平社の組織は多様に分岐し、戦争の渦に飲み込まれていきました。
ビデオコーナーには、「前近代の岩崎村」「水平社ができるまで」「水平社の創立」「全国水平社の生活権賠償要求運動」など。写真は、水平社創立時を振り返る阪本清一郎。
館内の紹介は以上です。じっくり見るには、少なくとも半日は必要と思います。
博物館の目の前に「人権のふるさと公園」。西光寺、阪本清一郎生家跡、駒井喜作宅跡、共同浴場跡、「『解放令』から5万日目」記念碑などがある。
博物館の売店で買った教材(800円)。東京出身の私は、学校で部落問題を学んだ記憶がありません。人権副読本は、奈良では『なかま』、大阪では『にんげん』(2008年廃止)、長野『あけぼの』、福岡『かがやき』といった本として配布されている(いた)ようです。「学校現場では中途半端な本として、半ば迷惑そうに扱われていた」(『差別と教育と私』上原善広/文藝春秋)という話もありますが、私自身は興味深く読みました。
正直に言うと、私はいまだに『橋のない川』を読んでいません。次回は、この本を読んだ上で
水平社博物館を再訪するとともに、周辺を歩いてみたいと思っています。
水平社博物館
住所:奈良県御所市柏原235-2
電話:0745-62-5588/fax: 0745-64-2288
開館時間:10:00〜17:00 (入館〜16:30)
休館:毎週月曜日、毎月第4金曜日他
入館料:大人500円、中高生300円、小学生200円、障害者無料