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yukikoyanagida.com
柳田由紀子(やなぎだゆきこ)=むかし編集者、いまノンフィクション・ライター、在ロサンゼルス。アメリカ人の夫と二人暮し。家事もけっこう真面目にやってます。
63年東京生まれ。早大一文卒。新潮社入社後、スタンフォード大他で学ぶ。最新刊『宿無し弘文ースティーブ・ジョブズの禅僧/集英社Int'l』、四刷出来! 他の著書に、『二世兵士 激戦の記録/新潮新書』『アメリカン・スーパー・ダイエット/文藝春秋』、 翻訳書に、『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ/集英社Int'l』『木槿の咲く庭/新潮社』など。
やなぎだゆきこのかお
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やなぎだゆきこのほん
・『宿無し弘文』(集英社文庫)
・『二世兵士 激戦の記録』(新潮新書)
・『アメリカン・スーパー・ダイエット』(文藝春秋)
・『太平洋を渡った日本建築』(NTT出版)
ー翻訳書ー
・『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』(集英社Int'l)
・『木槿の咲く庭』(新潮社)
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2025年01月01日
about 柳田由紀子(やなぎだゆきこ)
最新刊
『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧』
(1900円+税/集英社インターナショナル)続々増刷出来!
第69回日本エッセイスト・クラブ賞
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この記事へのコメント
「宿無し弘文」を読みました。私の感想です。ただ、1回しか読んでいないので、数回読むと感想が変わるかもしれません。
この本に書かれている各人の弘文さんへのエピソードを読むと、弘文さんは、一月間、籠もった結果、「曹洞宗と訣別する決心をした」と思いました。曹洞宗を捨てた後、弘文さんの行動規範はお釈迦様の背中を見つめていたと思います。それが、確実に現れているのが、P182に書いてある「私は禅僧ではない、仏教の僧侶だ」と言う言葉ではないでしょうか。
そして、曹洞宗を捨てたことにより、弘文さんは自分自身(もしかして心?)の拠り所が無くなって不安になり、その結果、酒に逃避したと考えます。
Posted by 貞岳居士 at 2020年07月03日 11:33
弘文さんの葛藤
それは曹洞宗が「道元様」の教えを広めること、すなわち曹洞禅を広めることに対しアメリカ人の求めているのは「禅」そのものです。アメリカ人が求めているのは曹洞禅やその他の宗派(例えば臨済宗)の禅ではないのです。ここにすれ違いがあったのではないでしょうか。
そして、一ヶ月籠もった結果、曹洞宗に拘れないと考えたのでしょう。それだから、アメリカで創立した寺院は曹洞宗に届けなかったと思います。曹洞宗に届ければ曹洞宗の教えに縛られるからです。
したがって、「慈光寺」等、アメリカで建立(こんりゅう)した寺は曹洞宗に届け出を出さず、どこの宗派にも属さない無宗派の寺にしたと思います。
ちなみに、弘文さんが、アメリカで、一番最初に建立(こんりゅう)した寺の名前「慈光寺」は、日本では曹洞宗の越後四大道場の一つです。その「慈光寺」は加茂市の隣町である村松町(今は合併して五泉市)にあります。
仏教を広く教える寺(道場)の名として故郷の道場として馴染みのある「慈光寺」にしたと想像します。そして遠い異国の地にあっても、常に故郷に思いを馳せていたのではないでしょうか。
Posted by 貞岳居士 at 2020年07月05日 07:25
貞岳居士さま
ご高覧、ご感想を賜り誠にありがとうございます。
拙著について、あるいは、曹洞宗と弘文さんの関係については、貴殿が感じたままに読んでいただければうれしいのです。
「故郷の道場と馴染みのある慈光寺と名づけたと想像」ーーこれに関して、弘文さんが言及された文献には出会っていませんが、そうかもしれないですね。ご養母が、越後四カ道場のひとつ、種月寺のご出身でしたし。
二度にわたる懇切なご感想に心より御礼申し上げます。
Posted by 柳田由紀子 at 2020年07月14日 21:34
私の感想について返信をいただきありがとうございました。この文は、2度読んだ私の妄想です。したがって、返信はいりません。
エピローグで勘違いしていた。一ヶ月籠もったのは、女性問題だけではないと書かれています。
私は、最初からそう思っていました。弘文さんにとって曹洞宗から離れるということは、養家である耕泰寺を継がないということになります。これは、田舎を捨てるということです。名家に生まれ育った者にとって、それがどれほど重いことか。
名家に育った者ならば、家を継ぐということの意義が分かります。そのような考えで育った弘文さんにとって養家である知野家を継がず、耕泰寺との訣別に苦渋したことと思います。養父母、耕泰寺の檀家と離れるのが、どれほど辛いものであったでしょうか。
田舎との訣別を決心した弘文さんは、加茂が洪水になったとしても、7ヶ月もアメリカに帰らなかったのはどうしてでしょう。私は、その間、弘文さんが、どのような行動をしたか興味があります。たぶん、田舎を捨てる決心が揺らいだと想像します。
弘文さんは「僧侶という役を演じた名優だった。」と、私は思います。
最初の妻、ハリエットさんが「宗教って演劇だと思うよね。主演の僧侶等がしかるべき衣装を纏い、音楽等をバックに儀式演じる」と言っています。これは、弘文さんと「一緒に暮らしていた」から言えることだと思います。
そして、これが、弘文さんが、一ヶ月籠もった結果の行動だと思います。このとき、曹洞宗ではない禅(仏教)という舞台の上に立って演じるんだと覚悟したのではないでしょうか。
また、弘文さんは、女性に恋をしたこと、女性を愛したこと、そんなことがあったのか疑問に思います。結婚したから、その女性を愛しているんでしょうか。それはキリスト教からくる一夫一婦制に基づいている考えだと思います。
24時間、仏教という舞台に上がっていたら疲れます。どこかで舞台を降りて休息を取らなければなりません。弘文さんにとって、それが、「ハリエットさんと一緒にすごす時間であった。」と思います。
舞台の上では、常に緊張を強いられます。ハリエットさんと過ごす時間だけが、緊張せずに安らぎを得られたのではないでしょうか。だから、離婚を拒んだと思います。弘文さんにとっては、ハリエットさんとの過ごす時間が必要だったのです。
どちらかというと、8歳年下の女性に母親の役割を求めたと思います。そして、ハリエットさんと過ごすことが安らぎで無くなるにつれて、酒量が増えていったことでしょう。
このことは、弘文さんが「ハリエットに恋愛感情を抱いていない。」ということであり、だからこそ、ハリエットさんとの別れは、失恋とは言えないものです。
3番目の妻キャトリン、あえて3番目の妻と言います。キャトリンさんとの生活は、キャトリンさんの前でも演じなければならなかった。四六時中、演じていなければならなかった。これでは安らぎの場、すなわち逃げ場がなかった。それで、酒に逃げたと思います。
しかし、他の信者の前では僧侶を演じているので、酒による醜態は見せなかった。
長くなるので、いったん切ります。
Posted by 貞岳居士 at 2020年07月29日 20:12
弘文さんは、男女の交わりについて、どのように考えていたのでしょうか、肉体的快楽を求めていたのでしょうか。一ヶ月間、籠もる前は、そうだったと思います。
カトリック修道女、シスター・テレサさんは、話のなかで、澤木興道老師の言葉として、「天地を施し、空気も施し、植物も施し、動物を施し、人をも施す。施し合い。我々はこの布施し合う中にのみ、生きておる」を引用しています。
弘文さんの行動規範の一つが「施し」だったのではないでしょうか。そして、女性に対する施しとは、どのように接すれば良いのでしょう。それを考えたとき、弘文さんは「女性に安らぎ与えること。」と思ったのではないでしょうか。
男女の交わりの快楽の後に、「安らぎ」が来ます。快楽の後、肌を寄せ合い、肌を触れ合って眠るときは、なにも考えることなくゆっくりと眠ることが出来ます。それは「一種の安らぎ」と思います。
加藤登紀子さんの歌に「独り寝の子守歌」という曲があります。男でも女でも、一人で寝ることは寂しいものです。そんなとき肌を寄せ合い・触れ合い、眠ることは安らぐものです。
弘文さんは、女性が寂しさ・不安から一時的にせよ逃れるため、安らぐために交わったと思います。そして、果てた後、肌を寄せ合い・触れ合い、眠ることは、同時に、「弘文さん自身も安らいでいた。」のではないかと思います。この眠っているときだけ、弘文さんは舞台から降りていたのではないでしょうか。これは、「施し合い」といっても良いと思います。
そんな気がします。
それが、白梅寺住職マーティン・モスコーさんの話で「女性に対していつも受け身だった。『女が男を選ぶ。男は女を選ばない』」ということだと思います。
弘文さんは、女性に対し、「仏の思し召しとして、施しとして、交わっていた。」と思います。
以上が、この本を読んだ私の妄想です。
耕泰寺様から離縁された後、知野・乙川のどちらの姓をも名乗らずにいたら、弘文さんは、私の思うような人と思います。仮に、どちらかの姓を名乗らなければいけないとき、私は、「知野」姓を名乗って欲しい。
この本の内容は、私には重いです。遠い将来は別として、今、再び、読み返すことはしたくない。
Posted by 貞岳居士 at 2020年07月29日 20:24
貞岳居士さんへ
「返信はいりません」の旨、理解しております。また、先にも書いたように、本は読者が感じたように読んでもらえれば、私はそれで充分なのです。ただ、ご感想を拝読していることだけをお伝えしたく、筆をとりました。
Posted by 柳田由紀子 at 2020年07月31日 14:28
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宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧 (集英社文庫) - 柳田由紀子
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この本に書かれている各人の弘文さんへのエピソードを読むと、弘文さんは、一月間、籠もった結果、「曹洞宗と訣別する決心をした」と思いました。曹洞宗を捨てた後、弘文さんの行動規範はお釈迦様の背中を見つめていたと思います。それが、確実に現れているのが、P182に書いてある「私は禅僧ではない、仏教の僧侶だ」と言う言葉ではないでしょうか。
そして、曹洞宗を捨てたことにより、弘文さんは自分自身(もしかして心?)の拠り所が無くなって不安になり、その結果、酒に逃避したと考えます。
それは曹洞宗が「道元様」の教えを広めること、すなわち曹洞禅を広めることに対しアメリカ人の求めているのは「禅」そのものです。アメリカ人が求めているのは曹洞禅やその他の宗派(例えば臨済宗)の禅ではないのです。ここにすれ違いがあったのではないでしょうか。
そして、一ヶ月籠もった結果、曹洞宗に拘れないと考えたのでしょう。それだから、アメリカで創立した寺院は曹洞宗に届けなかったと思います。曹洞宗に届ければ曹洞宗の教えに縛られるからです。
したがって、「慈光寺」等、アメリカで建立(こんりゅう)した寺は曹洞宗に届け出を出さず、どこの宗派にも属さない無宗派の寺にしたと思います。
ちなみに、弘文さんが、アメリカで、一番最初に建立(こんりゅう)した寺の名前「慈光寺」は、日本では曹洞宗の越後四大道場の一つです。その「慈光寺」は加茂市の隣町である村松町(今は合併して五泉市)にあります。
仏教を広く教える寺(道場)の名として故郷の道場として馴染みのある「慈光寺」にしたと想像します。そして遠い異国の地にあっても、常に故郷に思いを馳せていたのではないでしょうか。
ご高覧、ご感想を賜り誠にありがとうございます。
拙著について、あるいは、曹洞宗と弘文さんの関係については、貴殿が感じたままに読んでいただければうれしいのです。
「故郷の道場と馴染みのある慈光寺と名づけたと想像」ーーこれに関して、弘文さんが言及された文献には出会っていませんが、そうかもしれないですね。ご養母が、越後四カ道場のひとつ、種月寺のご出身でしたし。
二度にわたる懇切なご感想に心より御礼申し上げます。
エピローグで勘違いしていた。一ヶ月籠もったのは、女性問題だけではないと書かれています。
私は、最初からそう思っていました。弘文さんにとって曹洞宗から離れるということは、養家である耕泰寺を継がないということになります。これは、田舎を捨てるということです。名家に生まれ育った者にとって、それがどれほど重いことか。
名家に育った者ならば、家を継ぐということの意義が分かります。そのような考えで育った弘文さんにとって養家である知野家を継がず、耕泰寺との訣別に苦渋したことと思います。養父母、耕泰寺の檀家と離れるのが、どれほど辛いものであったでしょうか。
田舎との訣別を決心した弘文さんは、加茂が洪水になったとしても、7ヶ月もアメリカに帰らなかったのはどうしてでしょう。私は、その間、弘文さんが、どのような行動をしたか興味があります。たぶん、田舎を捨てる決心が揺らいだと想像します。
弘文さんは「僧侶という役を演じた名優だった。」と、私は思います。
最初の妻、ハリエットさんが「宗教って演劇だと思うよね。主演の僧侶等がしかるべき衣装を纏い、音楽等をバックに儀式演じる」と言っています。これは、弘文さんと「一緒に暮らしていた」から言えることだと思います。
そして、これが、弘文さんが、一ヶ月籠もった結果の行動だと思います。このとき、曹洞宗ではない禅(仏教)という舞台の上に立って演じるんだと覚悟したのではないでしょうか。
また、弘文さんは、女性に恋をしたこと、女性を愛したこと、そんなことがあったのか疑問に思います。結婚したから、その女性を愛しているんでしょうか。それはキリスト教からくる一夫一婦制に基づいている考えだと思います。
24時間、仏教という舞台に上がっていたら疲れます。どこかで舞台を降りて休息を取らなければなりません。弘文さんにとって、それが、「ハリエットさんと一緒にすごす時間であった。」と思います。
舞台の上では、常に緊張を強いられます。ハリエットさんと過ごす時間だけが、緊張せずに安らぎを得られたのではないでしょうか。だから、離婚を拒んだと思います。弘文さんにとっては、ハリエットさんとの過ごす時間が必要だったのです。
どちらかというと、8歳年下の女性に母親の役割を求めたと思います。そして、ハリエットさんと過ごすことが安らぎで無くなるにつれて、酒量が増えていったことでしょう。
このことは、弘文さんが「ハリエットに恋愛感情を抱いていない。」ということであり、だからこそ、ハリエットさんとの別れは、失恋とは言えないものです。
3番目の妻キャトリン、あえて3番目の妻と言います。キャトリンさんとの生活は、キャトリンさんの前でも演じなければならなかった。四六時中、演じていなければならなかった。これでは安らぎの場、すなわち逃げ場がなかった。それで、酒に逃げたと思います。
しかし、他の信者の前では僧侶を演じているので、酒による醜態は見せなかった。
長くなるので、いったん切ります。
カトリック修道女、シスター・テレサさんは、話のなかで、澤木興道老師の言葉として、「天地を施し、空気も施し、植物も施し、動物を施し、人をも施す。施し合い。我々はこの布施し合う中にのみ、生きておる」を引用しています。
弘文さんの行動規範の一つが「施し」だったのではないでしょうか。そして、女性に対する施しとは、どのように接すれば良いのでしょう。それを考えたとき、弘文さんは「女性に安らぎ与えること。」と思ったのではないでしょうか。
男女の交わりの快楽の後に、「安らぎ」が来ます。快楽の後、肌を寄せ合い、肌を触れ合って眠るときは、なにも考えることなくゆっくりと眠ることが出来ます。それは「一種の安らぎ」と思います。
加藤登紀子さんの歌に「独り寝の子守歌」という曲があります。男でも女でも、一人で寝ることは寂しいものです。そんなとき肌を寄せ合い・触れ合い、眠ることは安らぐものです。
弘文さんは、女性が寂しさ・不安から一時的にせよ逃れるため、安らぐために交わったと思います。そして、果てた後、肌を寄せ合い・触れ合い、眠ることは、同時に、「弘文さん自身も安らいでいた。」のではないかと思います。この眠っているときだけ、弘文さんは舞台から降りていたのではないでしょうか。これは、「施し合い」といっても良いと思います。
そんな気がします。
それが、白梅寺住職マーティン・モスコーさんの話で「女性に対していつも受け身だった。『女が男を選ぶ。男は女を選ばない』」ということだと思います。
弘文さんは、女性に対し、「仏の思し召しとして、施しとして、交わっていた。」と思います。
以上が、この本を読んだ私の妄想です。
耕泰寺様から離縁された後、知野・乙川のどちらの姓をも名乗らずにいたら、弘文さんは、私の思うような人と思います。仮に、どちらかの姓を名乗らなければいけないとき、私は、「知野」姓を名乗って欲しい。
この本の内容は、私には重いです。遠い将来は別として、今、再び、読み返すことはしたくない。
「返信はいりません」の旨、理解しております。また、先にも書いたように、本は読者が感じたように読んでもらえれば、私はそれで充分なのです。ただ、ご感想を拝読していることだけをお伝えしたく、筆をとりました。