2014年08月28日

二世兵が学んだ米陸軍情報部語学学校、ミネソタ州の「フォート・スネリング」を訪ねる

フォート・スネリング

 夫の実家があるので、ミネアポリス(ミネソタ州)にはしばしば行きます。ミネアポリスのお隣はセントポール。私は常々、そこにある「フォート・スネリング」を訪ねたいと思っていました。なぜなら、第二次世界大戦時に米陸軍情報部(Military Intelligence Service=MIS)の語学学校(Military Intelligence Service Language School=MISLS)があったからです。この学校に通った兵士の大半は、日系アメリカ人二世でした。
 ところが、寒いさむい土地なので、フォート・スネリングのオープン期間は「夏季限定」。そんなこんなで、これまで機会を逸していたのですが今回ようやく願いが叶いました。
  実は、フォート・スネリングに日系アメリカ人関連の資料や展示物がたくさんあるかというと、そういうわけでもありません。ただ、私は数年前に『二世兵士 激戦の記録:日系アメリカ人の第二次大戦』(新潮新書)という本を刊行するに際し、多くの元語学兵に取材しました。あれ以来、彼らが学んだ土地の空気に触れたいとずっと思っていたのです。




 フォート・スネリングのメインスポットは、南北戦争や第一次大戦時の建物群を修復、改築した要塞広場です。二世語学兵とは直接関係ありませんが、この地の全体像を示すために、はじめに少し紹介しておきましょう。

フォート・スネリング
 フォート・スネリングのシンボル、見張り塔(1820年頃建築)。ミシシッピー川とミネソタ川が交わる要衝の地にあるフォート・スネリングは、1820年代〜第二次大戦後の1946年10月までの長期間、米陸軍の一大訓練基地だった。1,500エーカーの敷地には、今も多くの建物が残る。

フォート・スネリング
 要塞広場では、当時のコスチュームを着た多数のガイドが案内。写真は、19世紀の基地内売店。

フォート・スネリング
 こちらは司令官の館。19世紀に使われた竃(かまど)で実際に調理。やはりコスチュームを着たガイドが丁寧に解説。

フォート・スネリング
 昔の大砲を使った実習も見学できる。他に無料のガイド付きツアーも。
 さて、ここからフォート・スネリングにおける二世語学兵の足跡を辿っていきます。

 日米戦において、アメリカは情報入手に並々ならぬ力点を置きました。陸軍では情報部が語学学校を設立、日本語を深く理解する兵士を養成しました。そんな情報語学兵(MISer)の核となったのが、日系アメリカ人、主に二世の兵士たちでした。

フォート・スネリング
 ビジターセンター内の小劇場では、フォート・スネリングの歴史を綴った短編映画を上映。もちろん二世語学兵も登場。

フォート・スネリング
 上記短編映画より。二世兵にはハワイや西海岸の温暖な地域出身者が多く、ミネソタの寒さや雪には難儀したという。

 そもそも最初の陸軍語学学校は、41年11月にサンフランシスコのプレシディオ陸軍基地内に創設されました(当時の正式名は、第4軍語学学校)。しかし、1カ月も経たないうちに真珠湾攻撃で日米が開戦。米西海岸が、日本人および日系人の立ち退き区域に指定されたために、学校は移転を余儀なくされます。
 そこで選ばれたのが、ミネソタ州ミネアポリス近くのサベッジ基地でした。ミネソタに移ったのは、人種差別や偏見が少ない州だったからだといいます。42年6月、学校はミネソタの地で再スタートを切りました。この時、校名も正式にMISLSと命名されました。
 MISLSを卒業した二世語学兵の軍功は圧倒的でした。各方面から規模の拡大を求められた学校は、44年8月に再び移転します。そこが、当時の陸軍訓練所、フォート・スネリングだったわけです。

フォート・スネリング
 フォート・スネリングに残るN0.18ビル。第二次大戦中、二世語学兵が住まい学んだ建物。残念ながら中に入ることはできない。

フォート・スネリング
 二世兵士が学んだ頃のNo.18ビルとその周辺。photo from “Fort Snelling Then and Now: The world War U years” (The Friends of Fort Snelling, MN, 2011).

フォート・スネリング
 米陸軍情報部の日本攻略、二本柱は「暗号解読」と「捕虜情報」。高度な語学力と日本文化理解が求められる任務のため、語学学校の学科は日本語の他に、日本の歴史、地理、候文(そうろうぶん)、草書、日本軍用語、方言、尋問技術など多岐にわたった。そして、卒業後は多くの二世兵が戦場へと送られていった。photo from “Fort Snelling Then and Now: The world War U years” (The Friends of Fort Snelling, MN, 2011).

フォート・スネリング
 No.18ビルの扉。最盛期のフォート・スネリングMISLSの生徒数は1,836名。戦後閉校するまでの間に、5,000名(含・二世女性46名)の二世語学兵がこの扉から巣立っていった。

 フォート・スネリングで、現在私たちが見ることにできる足跡は、以上紹介した短編映画とNo.18ビルの外観、そして展示室に飾られた数枚の写真だけです。でも、個人的にはとても満足しています。何よりも同じ土地に立ち、同じ空気を吸うことで歴史が身体に伝わってきました。
 正直、ここだけのためにミネアポリスやセントポールに行く必要はないと思います。しかし、近くに行く機会があれば、そして、日系アメリカ人や二世兵士に興味がある方ならば、立ち寄る価値は充分にあるでしょう。

フォート・スネリング
 売店で見つけた『Fort Snelling Then and Now: The world War U Years』(by Stephen E. Osman / The Friends of Fort Snelling / MN, 2011)。二世語学兵にも言及。 

 拙著『二世兵士 激戦の記録:日系アメリカ人の第二次大戦』(新潮新書)。二世語学兵についてたくさん書きました。






Historic Fort Snelling
200 Tower Ave., St. Paul, MN 55111
phone: 612-726-1171
Open: Memorial Day Weekend-Labor Day




posted by 柳田由紀子 at 07:22| Comment(0) | 日系アメリカ人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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