2014年05月31日

スティーブ・ジョブズが愛した禅僧、乙川弘文評伝@

世界を変えた男は、その訃報にさめざめと泣いた。
「Kotoba」(集英社)2012年春号より転載/文・柳田由紀子

Kobun_Chino_Otagowa.jpg

若い頃から精神世界にのめり込んだジョブズが、
生涯でもっとも長い間向き合ったのが「禅」だった。
とりわけ、日本人の禅僧、乙川(旧姓・知野)弘文(こうぶん)との
30年におよぶ交流がジョブズに与えた影響は絶大だった。
その一端は、コミック
『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』にも描かれている。
知られざる禅僧の人物像に迫る。

「受話器の向こうで、スティーブ・ジョブズはさめざめと泣いていました。5分くらいでしたか。とても感傷的ですすり泣く声だけが聞こえてきました。その間に時折、『なぜ?』『どうして?』と。でも、スティーブは答えを求めていたんじゃない。ただ話す相手が欲しいのだと私にはわかりました。あれは、”彼”が亡くなった直後の2002年夏。スティーブ自身が癌と診断される一年ほど前のことでした」

 そう語るのは、 カリフォルニア州マウンテンビュー市にある禅堂「観音堂」住職のレス・ケイ氏(75歳)だ。ケイ住職の号名は覚禅慶道、日本の曹洞(そうとう)宗から正式に認められた国際布教師である。ふたりの親交は1975年に始まり、90年代にはケイ氏が、ジョブズ率いるアップル本社で、社員のための禅教室を定期的に指導したこともある。
思索的なヒッピー、ジョブズ

 ここはシリコンバレーのど真ん中、カリフォルニア州ロスアルトス市の瀟洒な住宅街に佇むケイ氏の自宅。アップルの本社にも車で10分ほどのところで、およそ40年前、ジョブズと氏が出逢った場所でもある。
 実はその頃、この家のガレージは「俳句禅堂」と呼ばれていた。
 66年、禅に目覚めたひとりのアメリカ人(マリアン・ダービー)が自宅ガレージを改造し同じ志を持つ者に開放、坐禅などの修行を重ねた。座席数は五、七、五の俳句と同じ17席。だから俳句禅堂。当時、IBMのエンジニアだったケイ氏と、名門リード大学を中退し、インド放浪を経て故郷のロスアルトスに戻っていた20歳のジョブズは、ともに修行者として俳句禅堂に通った。

 今は、ガーデンデザインに携わるケイ夫人の事務所となった元俳句禅堂の一隅で、ケイ氏が話を続ける。
「スティーブとは、よくここで一緒に坐禅を組みました。彼はヒッピーだったけれど大変思索的で求道的。一切笑わず怖いほどでした。坐禅の後で、人生の根本的な不安や疑問をとめどなく私に訴えたものです。この世のどこに自分を据えるか探しあぐねているようでした。特に、『精神世界をどう仕事に反映させられるのか?』という質問が多かったですね。スティーブは、そうした問いから出発し、禅の精神を学び、遂には、ミニマルで美しく、創造的で想像力に満ちたアップル製品を世に送り出した。見事な人生でした」
弘文

 ところでーー。
 ジョブズは、いったい誰のためにさめざめと泣いたのだろう?
 その人の名は、乙川(旧姓・知野/ちの)弘文。日本生まれ日本育ちの禅僧である。
 ジョブズは、本人が唯一公認した伝記、世界的ベストセラーの『スティーブ・ジョブズ』で、乙川弘文についてこんな発言をしている。
「弘文老師との出会いに深く感動し、気がついたら、なるべく長い時間を彼と過ごすようになっていた。老師にはスタンフォード大学で看護師をしている奥さんとふたりの子どもがいてね。奥さんは夜勤だったので、僕はいつも夕方から導師のところへ行ってたな。で、夜中に帰ってきた奥さんに追い出されるわけさ」(井口耕二訳、講談社)
 同書によれば、ジョブズは弘文に出家の相談をするほど禅に傾倒したが、「事業の世界で仕事をしつつ、スピリチュアルな世界とつながりを保つことは可能なのだから出家はやめたほうがよいと諭(さと)され」たとある。
出世欲や世俗性と無縁の僧侶

 昨年10月5日のジョブズの逝去以来、乙川弘文はいきなり世界的な脚光を浴びた。今年1月には、アメリカの老舗出版社フォーブスから、彼とジョブズを主人公にしたコミックブック『The Zen of Steve Jobs』(原作・ケイレブ・メルビー、作画・ジェス3)さえ刊行され、現在世界各国で翻訳出版されている。実を言うと、この本の日本語翻訳は私が担当したのだけれど、乙川弘文は本人がすでに亡くなっていることも手伝って、さまざまに「謎」の部分が残された人物なのだった。

 そこで曹洞宗の宗務庁に問い合わせたところ、前・北米国際布教総監の秋葉玄吾老師(67歳)を紹介された。早速、秋葉老師が住職を務めるオークランド(カリフォルニア州)の「白雲山・好人庵禅堂」を訪ねると、
「知野さんのことは、日本の仏教界ではほとんど知られてないですよ。知野弘文って誰? って感じじゃないでしょうか」
 剃髪した頭に作務衣と、いかにも和尚さんといった風貌の氏は、開口一番こう話した。
 秋葉氏は、弘文のことを旧姓の「知野さん」と呼ぶ。氏が、弘文と初めて対面したのは81年。曹洞宗の大本山、永平寺(福井県)で修行中、10日ほどアメリカで禅の布教活動をした時のことだ。場所は、やはり俳句禅堂だったという。
「知野さんは、余計なことを話さずニコニコとされていましたね。とても柔らかい印象でした。その後は、87年に私がこちらに赴任。以来、国際布教師の会合で年に2、3度会う間柄でしたが、柔和な様子はずっと変わらなかった。でも、やさしい顔をしていて、結局、知野さんは図太いんですよ(笑)。卑近な例をあげれば、知野さんは剃髪していません。本来禅僧はそうあるべきなのですが、あの人は剃らない。そんな細かいルールは無視して、もうトコトン突き抜けちゃってるんです。出世欲もなければ世俗性も一切なくて、禅のお坊さんの原型のような人でした。きっとそこにジョブズは惹かれたのでしょう」
 反対に、ジョブズについて弘文は、
「『あれは若い頃から私のもとに通っていたけれど、いずれ何か大きな仕事をするとは思っていた』と、いつものように言葉数少なに話したことがありました」
 秋葉氏はここまで語ると、
「知野さんかぁ〜、知野さんねぇ〜。 つかみどころがないっていうか。 う〜ん、雲の上に乗った人としか、私には言いようがない!」
 と困ったように笑って、唸った。
突然の劇的な最期

 天下のスティーブ・ジョブズを泣かせた男、乙川弘文とは何者なのか?
 禅から多大な影響を受けた(実際、サンフランシスコ禅センターによれば、亡くなる数カ月前にジョブズは「永平寺に行きたい」と連絡してきたという。体力的理由でかなわなかったのだが)というジョブズは弘文から何を学んだのだろう? そもそもアメリカで、禅はどんな風に広がったのか?
 

 この連載ではこれらを探求したいと思う。が、その前に、ここで簡単に乙川弘文の人生を振り返っておこう。
 乙川弘文は1938年2月1日、新潟県加茂市の曹洞宗・定光寺(じょうこうじ)の三男に生まれた。幼い頃から父の文龍から坐禅を学んだが、7歳の時に父親が死去。その後、同市耕泰寺(こうたい)の知野孝英(こうえい)老師の養子に迎えられた。
 得度に関しては13歳説もあるが、曹洞宗の公式記録には56年、18歳時と記されている。
 57年、駒澤大学仏教学部入学。卒業後は、京都大学大学院文学研究科で長尾雅人(がじん)教授に師事し、仏教研究に勤しんだ。
 61年、知野老師より嗣法(しほう)。64年、京都大学大学院修士課程を修了し、翌年、大本山永平寺の門を叩く。
 永平寺で2年半を過ごした後、67年、曹洞宗の国際布教師としてアメリカ(カリフォルニア州)に赴任。2年後役割を果たし帰国するが、ロスアルトスのアメリカ人信徒たちから「地元の禅堂で指導して欲しい」との熱い嘆願書を受けて70年に再渡米。この禅堂こそが、ジョブズも通った俳句禅堂である。




 その後は、アメリカはもとよりヨーロッパ各地に続々と禅堂を創設するかたわら、スタンフォード大学他で禅の指南に携わる。さらに、スティーブ・ジョブズのNeXT社(85年〜96年)の宗教顧問を務め、ジョブズとローリーン・パウエルの結婚式も司った(91年)。
 なお、弘文は、創設した禅堂や、得度した信徒を日本の曹洞宗に届け出ていない。日本の仏教界が、彼の情報を把握できない理由のひとつはこれに起因する。
 私生活では、1度目の渡米時に出逢ったアメリカ人と再渡米後すぐに結婚。一男一女を成した後、離婚。五十路を超えた後、ヨーロッパ布教時に知り合ったドイツ人と再婚、一男二女をもうけた。その間に、自らが得度したアメリカ人バイオリニストと同棲していた時期もある。
 一方日本では、弘文の帰国をあきらめ後継者を得た知野孝英老師と、晩年に養子縁組を解消。弘文が時に乙川、時に知野と呼ばれるのはこのためである。
 渡米後の住まいは、禅堂やジョブズ邸を含む信徒の敷地など各地を転々、転居は数え切れない。
 そして2002年7月26日。乙川弘文は、スイスにある門弟の山荘で突如として人生の幕を閉じる。池に溺れた5歳の長女を救おうとして、娘ともども溺死してしまったのだ。突然の劇的な最期だった。
赤ん坊のように無垢な人

 満64歳、行年65歳の決して長いとはいえない生涯に、なんて多くのことをした人なんだろう? そう思う一方、もしかしてこの人って飽きっぽくていい加減なのかも……という疑問が私の頭を行き来した。女の影もちらつくし、乙川弘文ってよくある女好きの教祖さま? そんな疑念も湧いてきた。
 けれども、完璧主義者のあのスティーブ・ジョブズが、ちゃらんぽらんな色事師坊主を信頼するなどありえるのだろうか? そもそも弘文の魅力ってどこにあるのだろう? 
乙川弘文

 この疑問に答えてくれたのは、バークレー禅センターのメル・ワイツマン住職(号名・宗純、83歳)だった。弘文とは、67年、1度目の渡米時以来親交を重ねた人物である。
「弘文に出逢った者は、誰もが彼を好きにならずにいられない。なぜなら、弘文自身が誰もを愛したからです。弘文は、気品があって聡明、審美的で赤ん坊のように無垢な人でした。一種の天才です。日本で厳しい修行をした僧侶なのに、信じられないほどリベラル。自身を、老師や先生ではなく弘文とファーストネームで呼ばせたし、私たちアメリカ人に決して日本流を押しつけようとはしなかった。
 英語は上手じゃなかったですよ。でも、語学力など問題じゃない。天性の雄弁家でした。その雄弁もちょっと変わっていましてね。法話の語り口はとにかくスロー。話の間に、しばしば考え始めて長い、ながーい間(ま)ができるんです。話している本人が、そのまま寝ちゃったことも何度かありました(笑)。
 弘文をひと言で語るなら、”雲のような人”でしょうか」
 秋葉老師に続いて、ワイツマン老師も”雲”という表現を使った。私は老師の話を聞きながら、ふと「時間や約束は守る人だったのかしら?」という疑問を持った。
「そういうことはダメでした。でもね、弘文と一緒にいると欠点が帳消しになっちゃう。それほど魅力的だった。ある時、弘文の部屋の掛け軸が傾いていたので私が直そうとしたら、『いいんだ、いいんだ、そのままで』と。これが弘文! 常に自然体なんです」
 先のレス・ケイ氏も、弘文の魅力をこう説明する。
「スティーブ・ジョブズが俳句禅堂に通ったのは、1年間ほどだったでしょうか。夜中に長い間、スティーブと弘文が、ロスアルトスの小径を歩きながら語り合っている光景を何度も目にしました。あの頃、私もスティーブも、世界や人類の愚かさに怒りを覚えてピリピリしていた。その怒りをスティーブの場合、アップル製品で世の中をより良くするという方向に向けたわけですが、弘文は実に聞き上手で、私たちのマグマようないらだちを柔らかく受け止めて、適切なアドバイスをくれたものです」




きっぱりと反俗の立場を示す

 ケイ氏は当時、俳句禅堂に住み込み管理の役割を務めていた。71年に再渡米した弘文も、結婚するまでの数カ月を俳句禅堂に居住したので、ふたりは師弟であり同居人の間柄でもあった。
「だから見えてしまった部分もあるのですが」、ケイ氏はそうささやくと言いにくそうに話を続けた。
「弘文は精神的な賢者である一方、未熟な少年でした。私など何度アポをすっぽかされたことか。それに、お酒にもだらしなかったし、お金にもルーズでした。一度など、クレジットカードの負債を2万5000ドル(当時の為替レートで約900万円)も抱えてしまってね。結局、信徒が寄附を募って肩代わりしたんです……」
 900万円のカード負債……これはちょっとまずいかも。まずいといえば、オークランドの秋葉玄吾老師も、やはり言いにくそうにこんな話をした。
「北米曹洞宗では毎年、国際布教師会議を開きます。各地の国際布教師が伴侶同伴で集まり、日本からも位の高い僧侶が渡米して泊まりがけで行うんです。
 知野さんは毎年、当時同棲中のアメリカ女性を連れて来ていました。同棲というのは、僧侶としていかがなものかとも思うのですが、知野さんは離婚して独身だったし、皆もまぁよしとするかと。
 94年でしたか、あの年はラスベガスのMGMホテルで開催したのですが、午前の部が終了して休憩中、知野さんの姿が見えなかったので、みんなで『知野さん来なかったね』なんて話していたんです。すると、当の本人がひょこひょこと歩いて来るじゃないですか。そう、あの人は小柄でひょこひょこと歩くんです。で、娘のように若い美人の白人美人を連れている。しかし、いつもの人じゃない。みんな『え?』ってなった。
 でも、直後に午後の会議が始まって。と、突然、知野さんが立ち上がって『家内です』と。しかも、『お腹に赤ん坊がいます』と。日本からえらいお坊さん方が来ているっていうのに、ぬけぬけと(笑)。知野さんは60近く、彼女は25、26。全員唖然ですよ。
 もちろん、僧ともあろう者がそんな不道徳でいいのかという批判はあります。だけどね、これはきっぱりと”反俗の立場”を示したともいえるんです。その点、たいしたお坊さんなんですよ、知野さんはやっぱり。
 そういえば、永平寺の第78世貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師が、お会いする度に私に知野さんのことを訊かれていましたね。彼は、若い頃永平寺で宮崎老師に仕えていたんです。あんなに立派な僧侶が、ずっと気にかける何かをあの人は持っていたんでしょう。
 知野さんは、日頃は良寛さん。こと女に関しては、一休さんってところかなぁ」
 そう言うと、秋葉老師は再び苦笑いしてつるつると頭を撫でた。
 うーん、乙川弘文、あなたはいったい何者?







この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。