2014年04月10日

非差別部落(同和地区)の歴史を学びに、大阪の「舳松(へのまつ)人権歴史館」を訪ねた。

 私の生家は肉屋でした。私が生まれた年、昭和38年に東京、下町の葛飾区立石駅前に開いたお店です。だから、私は「肉屋のゆきちゃん」として育ちました。
 一方で、父は、私が幼い頃から「差別をしてはいけない」としばしば言っていました。うちの周辺に貧富の差はあったけれど、「差別」というほどのものを感じたことはなかったので、私はいつもなぜ父がそんなことを言うのか不思議でした。
 後年、被差別部落(同和地区)のことを知った時、ようやく父の発言の背景がわかりました。父は、昭和34年に転職、茨城県の竜ヶ崎屠場に通ってモツの卸商を始めました。そのうちに、卸だけでなく直営店もということで、私が生まれ育った肉屋を開店したわけです。

 そんな父は、初めて入った屠場(関西では「とば」と呼ぶようですが、うちでは「とじょう」と言っていました)で、非差別部落の実体に接したのだと思います。関西ほどではないのですが、関東でもやはり屠場や食肉と被差別部落は深い繋がりがあるようです。あるいは、昭和8年に浅草で生まれ育った父は、あの頃の浅草で、被差別部落問題に接していたのかもしれません。
 ただし、父は「差別をしてはいけない」と言うだけで、その理由や背景を私に話すことなく他界しました。今となってはきちんと話を聞いておけばよかったと、後悔だけが残ります。




 その後、私は大学を出てマスコミに就職しましたが、自分を育ててくれた肉屋という商売、そこに横たわる被差別部落問題について関心はあったものの、深く追求することはありませんでした。また、マスコミでも最近までこの問題がタブー視されていた傾向があり、会社に勤めていた間に、このテーマの記事を書いたこともありません(私が入社した新潮社では、入社と同時に島崎藤村の『破壊』が配られましたが、特別な説明はなかったと記憶します)。

 そこに、ポーんと現れたのが、上原善広さんが書いた『日本の路地を旅する』(文藝春秋)でした。上原さんは、ご自身が表明されているように、大阪の被差別部落(同和地区。上原さんは、中上健次文学にならい〈路地〉と表現します)出身で、お父さんは食肉の卸業者だそうです。私は、この本で初めて〈路地〉の生活を垣間見ることができました。上原さんが書く内容は、教条的でもなければ、被害者意識もなく、クールに事実を伝え、皮膚感覚で自分の経験を綴っています。そういう意味で、これまでの表現方法とまったく違うアプローチをしていると私は強く感じます。この本は、2010年に大宅壮一ノンフェイクション賞を受賞しましたが、受賞するに十二分な力作だと心底思います。

『日本の路地を旅する』には、被差別部落関連の資料館についても触れています。そこで、過日、そのひとつである「舳松(へのまつ)人権歴史館」を訪ねました。「舳松人権歴史館」は、部落差別の撤廃を目的に、非差別部落の歴史を展示している資料館です。


 何通りかの行き方があるようですが、私は、堺東駅からバスに乗って「協和町」で下車。途中、団地を抜けて10分ほど歩きました。新大阪や大阪駅からは、けっこう遠かったです。
 ちょっと迷って、ようやく到着した「舳先人権歴史館」は、それほど広くないスペースでした。前もって連絡していたので、係の方が親切にガイダンスしてくださいました。

舳松
 入館して最初のコーナーは「坂田三吉記念室」。将棋名人の故・坂田三吉は、明治3年(1870年)、舳松村(現・堺市協和町)生まれ。坂田名人のゆかりの品や写真、映像が展示されています。

舳松
「くらし」のコーナーです。これは「はんらく」と呼ばれた〈路地〉の再現。雨が降って傘をさすにも半分しか開かない、そういう狭苦しくて貧しい路地に、かつて被差別部落の人々は住んでいたといいます。大阪では、1970年の大阪万博を境に、これらの住居が団地などに改良されていきました(同和改良住宅)。

舳松
 わざとぶらして撮ったわけではありません。なぜかこうなってしまいました。「啓発」コーナーに展示されていた『部落地名総鑑』です。2006年刊行。部落地名を公表することで、出身地から個人の出自が明らかになることがあります。この総覧は、それを目的にしたもの。「人事採用に際してお役立てください」みたいなことが書いてあって、大変卑劣です。たった8年前に、まだこういうものが刊行されていたという事実に驚きました。根は深いです。

 館内には、他に「しごと」や「歴史」のコーナーがありました。

舳松
 どのコーナーだったか忘れましたが、「識字学級」に関する展示。非差別部落には、経済や家庭の事情で通学できない子どもがたくさんいました。したがって、かつては文盲の人が多かったそうですが、70年代になって、そんな人たちのために就業後の夜半に、字の読み書き、簡単な計算を教える「識字学級」が始まったといいます。次の文章には、初めて字を習う喜びが表現されています。読み書きができるって、なんて素晴らしいことなのか。涙が出ます。
「美しいという字 なんて美しいのやろ 先生、落とさんように 手のひらにかいて ジイッとにぎりしめて 家にかえりましてん」

舳松
 歴史館のそばには、坂田三吉名人の碑も。坂田名人の生家(間口二間、奥行き二間半)がこの辺りにあり、ぞうり表づくりを生業としていたそうです。ぞうりも被差別部落と深い関連のある職業でした。歴史館の方が、一緒に歩いてさまざま説明してくださいました。

舳松
 ここも戸外見学の一部。「この地は、1903 (明治36)年に、住民 373人の出資によって共同浴場の布袋湯が建てられた場所です。衛生思想の欠如を改善し『お風呂に入り綺麗にして、世間から差別されないようにしよう。』という、部落改善運動の考え方からでした。住民によって運営された部落解放運動の出発点になりました。」と記されています。布袋湯は、大阪万博の翌年、1971(昭和46)年まで営業されていたそうです。

 歴史館では企画展も開きます。2012年には、「舳松の伝統料理〜食肉文化を支えた人々〜」を開催。「あぶらかす」「さいぼし」「にこごり(魚介ではなく牛のホルモン)」など肉の加工品が、舳松の伝統料理として紹介されたそうです。ーー「かつては差別のため、部落と部落以外の人との結婚はほとんどありませんでした。各地の部落の者同士で結婚がおこなわれ、伝統料理が部落から部落へ伝えられました。そうして独自の食文化が育まれていきました。」(パンフレットより)。元肉屋の娘としては、これは本当に見たかったです。

 また、他にいただいたパンフレットで、私は初めて「住吉結婚差別事件」のことを知りました。結婚に際して差別されたため、二十歳の女性が自殺したという事件です。起きたのは1971(昭和46)年、万博の翌年。彼女の遺書には胸をしめつけられました。
 ところで、『日本の路地を旅する』を読んで私が初めて知った曲、『手紙』(詞曲/岡林信康)も同じテーマです。ご存じない方は、YouTubeで検索して聴いてみてください。めちゃくちゃ〈重い〉です。初めて聴いた時、私は数日間滅入りました。しかし、この〈重さ〉を日本の歴史は背負っている、その事実を見つめるしかありません。

舳松
 歴史館で購入した『写真集 舳松(へのまつ)』(舳松人権歴史館刊/1,000円)。1950年代から60年代、劣悪な環境の路地が、同和行政の中で変遷していく様子が収められた写真集。一般書店では入手できないのだろうか? 少なくともアマゾンでは販売していない。売ればいいのに。

 日本には他に、「水平社博物館」という同じテーマの博物館があります。いずれ訪ねたいと思います。また、兵庫県の「加古川食肉センター」が、積極的に解体見学コースを開催しているようなので、そちらにも行きたいと思っています。

 最後に、歴史館で私を担当してくださった方が、とても誠実に長時間の対応をしてくれたことを記しておきたいと思います。ありがとうございました。

舳松(へのまつ)人権歴史館
大阪府堺市堺区協和町2丁61
堺市人権ふれあいセンター7階
phone:072-245-2536
開館時間:9:00a.m.〜5:15p.m.
休館日:日曜祝日
入館料:無料


 








posted by 柳田由紀子 at 15:40| Comment(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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