月刊「ENGINE」(新潮社)2004年4月号より転載/文・柳田由紀子

その記事は、米ミネソタ州の超ローカル紙に載っていた。
「郷土の誇り、フランク・ロイド・ライトのガソリンスタンド、72万5千ドルで売り出し中!」
72万5千ドル、日本円にしておよそ8千万円なる価格がいったい高いのか、安いのか? そもそも、ライトってガソリンスタンドを作ってたっけ? それにしても、なんでミネソタなんだ??
むくむくむくと疑問符が湧いてきて、私は、ある日、北の街へと旅立ったーー。
生涯唯一のガソリンスタンド
Cloquetと書いてクロッケと読む。学生時代に暗記させられた五大湖の中でも、いちばん憶えにくかったスペリオール湖にほど近い片田舎。もっとも近場の都会は、冬場の厳寒で知られるミネアポリスで、そこからだって北に200キロもドライブしなければ辿り着かないアメリカ北端の街。巨匠ライトのガソリンスタンドは、そういうところにある。
建てられたのは1958 年。施主はクロッケを本拠とした石油商の故レイ・リンドホーム。ライト作とあって、オープン当時、このスタンドは全米的な脚光を浴びた。たとえば、遠いカリフォルニアの『オークランド・トリビューン』紙は、「革命的ガソリンスタンド。特に、開放的なガラス窓に囲まれた2階ラウンジが新鮮。まるで空港の眺望室のよう」と、手放しの賞賛記事を寄せた。
また、空中にせり出した銅屋根や、天を指す鉛筆のような照明塔も話題になった。
「成功したビジネスマンだったリンドホームの自邸は、ライトが設計したものでした。その縁で、自らが経営するスタンドもライトに委ねたのです。建築費総額は7万5千ドル。これは当時の相場の3倍ですが、それだけの投資価値はあったと聞いています」
そう語るのは、スタンドの現オーナーで、施主の孫にあたるジョン・マッキニー氏だ。
だけど、巨匠がよくもまあ、こんな辺鄙な地方の仕事を引き受けたもんですね? 失礼を承知でそう尋ねると、「確かに」とうなずいた後で、マッキニー氏は以下の解説を加えた。
「実は、このスタンドは、1930年代にライトが唱えた理想都市計画、『ブロードエーカー・シティ案』(未完)の応用なんです。彼は、生きている間になんとか計画の一部でも具体化したかったのではないか? 実際、ここは彼が生涯で唯一遺したガソリンスタンドなのです」
ライトのガソリンスタンドは執念の香り
ライトのスタンドは、今も半世紀前と同じ場所に同じ形で営業されている。今日の目から見ると、正直、これといって特別な建物じゃない。
それでも、「夏には世界中から観光客がやって来る。ただ写真を撮るだけの人もいるし、ガソリンを入れてお金を落としていく人もいる。いろいろさ」−−スタンドを現場で運営するテリー・シャルティアーさんは、そういってガハガハと笑う。
そんな隠れた人気スポットが売りに出されて、今後はどうなるのか? そのあたりのことを再びマッキニー氏に問うと、
「売れないままでもいいんです。記者に尋ねられたので、わざと法外な値段を設定しました。それくらい、この建物を評価してくれる人になら売ってもいいかな、という程度の意味なのです」
私は、ミネアポリスに戻る前に、ライトのスタンドに立ち寄ってガソリンを入れた。
「取材だけじゃないなんて、あんたも律儀だね」
テリーさんが、またガハガハと笑う。
思えば、ライトは執念の人だ。長い沈黙を破り、「落水荘」(1936年、ペンシルベニア州)で奇跡の復活を遂げた事実がそれを物語る。記録によれば、ライトが初めてガソリンスタンドを構想したのは1920年代後半。それが、30年後にようやく最果ての地で実現し、その翌年に巨匠は鬼籍に入った。
執念の香り−−ライトゆかりのガソリンに、そんなものを感じながら、私は南に向かうフリーウエイへと車を走らせた。

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