先月、フランク・ロイド・ライトの
タリアセンを見学した。以前から訪ねたかったのだけれど、シカゴから車で3時間半と、ドライブが苦手な私にはハードルが高かった。この度、セントルイスに単身赴任中の夫を誘い、ようやく訪問した次第。セントルイスからは車で約5時間でした。
タリアセン(ウエールズ語で「輝ける額」の意)は、鮮烈なデビュー後、不倫騒動でシカゴを逃れたライトが住んだ自宅兼スタジオ(元々はライトの母親の土地)。農場や建築学校なども創設し、ライトが理想のコミュニティ作りに励んだ地。また、世間の避難を浴びてまで一緒になった不倫相手(チェニー夫人)が、狂人の召使いに殺害されるという奇怪な事件が起きた場所でもある。
ライトは1911年にこの地に移住し、1959年に亡くなるまで
タリアセンの増改築を続けた(亡くなったのは、ここじゃなくてアリゾナ州)。ちなみに、ライト生誕の地は近隣の村、リッチランド・センター。生年は1867年。南北戦争終結から2年後、日本でいえば慶応3年、大政奉還の年。とっても昔の人なのです。
タリアセンには、ジュリエット水車、ヒルサイド・ホーム・スクール、タンイデリ・ハウス、タリアセン、ミッドウエイ・ファーム、リバービュー・テラス(現ビジターセンター)と6つの建物がある。上の写真は、ライトの住居だった
タリアセン (つまり
タリアセンと言う時、(1)6つの建物と敷地の総称、(2)6つの内のライトの住居部分のみ、のどちらかを指す。ややこしい)。
ビジターセンター以外の建物を見学するには、
タリアセン主催のツアーに参加しなければならない。私は「Highlights Tour」という、学芸員のガイド付き2時間のツアー(52ドル)に参加。大変有意義で効率的、かつ楽しいツアーだった。ちょっと高いけれど、このお金が修復の一助になると思うと、それほど苦にはならなかったな。
ツアーはこのバスで回る。バスのロゴもいかにもライト。
なだらかな地形が広がる
タリエセンからの眺め。敷地600エーカー(240ヘクタール)。「建つ家はその土地が決定する」(ライト)。アメリカ中西部の大草原が、ライト独特の「草原住宅(プレーリーハウス)」を生んだことが皮膚感覚で理解できた。
建物を繋ぐ渡り廊下。
タリアセンは、意外に安普請なのが印象的だった。ライトはいつも金欠だったから、施主の建物には高い材料を使えたけれど、自分の家はそうもいかなかったのですね( ̄ー ̄)。
いかにもライトらしい窓のデザイン。
ライト建築の特徴は、低い屋根が水平に長く、緩やかに伸びる建物の構成。さはさりながら、天井のこの低さよ!(この人は身長185cmくらいです。)
地元の石灰石を随所に使用。
天才で、プライド高く、自意識過剰気味だったライトは(その意味で、私にはマッカーサー、スティーブ・ジョブズ、ライトの三者がだぶって映る)、自作に見られる日本建築の影響をことあるごとに否定しているが……。歴然なのでは?
現在の
タリアセンには奨学金制度があり、建築を志す若者たちが住み込んで研究に勤しんでいる。彼らが作った野菜。「ご自由にどうぞ」とあったので、3本持ち帰って食べました。
ビジターセンター内のギフトショップで買った物。Tシャツ(各25ドル)もコースター(25ドル/5枚組)もライトの意匠。こういうところの品物は、へたするとTシャツが40ドルくらいしちゃうのに良心的。
ビジターセンター内のレストラン。おいしくてリーゾなブルな値段でした。私たちは、夫がステーキ、私は地元の鱒をフルコースで食べて、ふたりでワイン1本。お勘定は約1万円でした。そら、安くはないけれど……。コーヒーだけで安く上げる手も、もちろんあります。目の前を流れるウィスコンシン川の眺めや良し。
Taliesin Preservation, Inc.
5607 Cty. Rd. C
Spring Green, WI 53588
phone: 608-588-7900, 877-588-7900
*「フランク・ロイド・ライトと日本建築」に関しては、拙著『太平洋を渡った日本建築』(NTT選書)に1章を設けて書きました。わかりやすく書いたつもりです。
大人のためのレゴ、レゴRアーキテクチャーが、日本でも正式発売。
フランク・ロイド・ライトの作品も!
ミネラルポイントの『クオリティ・イン』が良い感じ。」
『ガバナー・ドッヂ・ウイスコンシン州立公園』。」
『ミネラルポイント鉄道博物館』は、南北戦争以前の駅舎。」
フランスっぽいお洒落な街、デビューク。」
posted by 柳田由紀子 at 11:55|
Comment(2)
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フランク・ロイド・ライト
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